「街角ゲリラ就活支援」ってなんだ?謎の自転車男にせまる!

田辺拓也

大阪で就活をする学生なら、その噂くらいは耳にしたことがあるはずだ。その名は[キャリぷら]。就活相談所であり、学生たちが無料で集えるコミュニティである。就活に苦戦する学生たちが、ここにくると不思議なくらい就活の歯車がうまく回り始めるという。その創設者である、株式会社日本キャリアセンター代表取締役の田辺拓也氏に話を聞いた。「こんなボランティアみたいなスタイルで、とことん学生と向き合うなんて、普通は誰もやらないですよね」と笑いながら、今日も学生たちとひざを交えている。

 

アカンところをボコボコにしてもらった路上生活。

本誌 大学時代に2年半“路上生活”を経験されたそうですね。

田辺 家庭が貧しくて、誰にも頼れない状況だったので、7歳の頃から母を支えながら自分で責任をとる働き方をしたいと考えていました。そんなわけで同世代の誰にも負けないハングリー精神は身についたんですが、一方で、自分には何かがむちゃくちゃかけているな、なんか世の中を斜めから見てるみたいなとこがあるなと。社会の厳しい場所に身をおいて、アカンところをボコボコにしてもらいながら、より多くの多様性と触れることで視野を広げたいと路上生活を始めました。1日20時間労働の日々。考えうる職種はほぼ経験しましたね。

本誌 ふつうはそこまでやりませんよね。

田辺 ふつうじゃありませんから(笑)。

本誌 そして新卒でDDI(現KDDI)に入社されるわけですが、田辺さん自身はどんな就職活動をしていたのですか?

田辺 当初、商社とマスコミに興味がありました。でも所詮学生、自分など何も分かっていないという自覚だけはあったので、いろんな業界をまんべんなく研究しました。結局360社エントリーして130社以上の会社を受けました。

本誌 えっ!130社も・・・!!

田辺 面接では路上生活の話も含めて、生い立ちの話をしました。企業にによって反応は違いましたね。何か汚いものを見るような目で、冷たくあしらわれたこともありました。それが落ちた5社。でもそれでいいと思っていた。自分を素直にぶつけてみて、興味を持ってもらえるところじゃないと、入社してからが大変ですから。

本誌 内定は何社くらいもらえたんですか?

田辺 130社も受けると選考が立て込みますから、ほとんどは選考を進めながら途中辞退になります。最終的に商社2社、流通大手と外資のメーカーが1社ずつ、、そしてDDI(現KDDI)に絞り込みました。なかでも選考が進むにつれてどんどん魅力的に感じるようになったのがDDIでした。最終的に社風を見た上で、人物、やる気で評価してくれるともっとも思えたDDIに決めました。

本誌 創立者の稲盛和夫さんについては学生時代から知っていたのですか?

田辺 恥ずかしながら、稲盛さんのことは就職活動の時に初めて知りました。めちゃめちゃいいことをおっしゃる方だなと。入社して稲盛イズムに触れるたび、どんどん心酔していき、今は稲盛さんの『動機善なりや、私心なかりしか』という言葉を大切にしています。新しいことを始めるときには「本当に社会にとってそれが必要か、自分がそれに取り組む理由は自分の欲のためではないか」ということを自らに問いなさいということです。

本誌 そのフィロソフィーは[キャリぷら]につながっているように思います。

 

就活がうまくいかない?いいじゃない。落ちるところまで落ちなさい!

田辺 じつは就職活動をするずっと以前、幼いころからいつか起業すると決めていたんです。7歳で母子家庭になって、当事者意識をもって自分の人生を歩み始めたという感覚があります。自分が考えて、自分の人生をつくっていかなければ、誰も幸せを運んできてはくれない、と。それまで優しくしてくれていた人たちが、父がいなくなった途端手のひらを返したように冷たくなった。そこで私は、大人とか社会とかいうものの本質に触れてしまったんですね。誰かに頼っていてはいけない。自分でやるしかない、と。7歳からずっとそういう気持ちで戦ってきた。でも、それが逆に、周りの人間がぬるま湯で甘ったれて生きているように見えてしまい、奴らとは違うんだという他人、特に同世代を見下す間違った気持ちを生じさせてしまった。、そんな自分をイチから見直すために路上生活をはじめたんですね。そこで「何をやっても生きていけるんだ」という自信に裏付けされた強さと、多様性を受容する力を得たことが大きかった。

本誌 だからDDIという成長期にある企業を飛び出すことにも躊躇がなかったんですね。

田辺 はい。起業する上で考えていたことは、「人生の転機にいる人の背中を押せるようなことがしたい」ただそれだけだったんです。だから、収益よりも、世の中に求められていることをしようという思いが強かった。

本誌 まさに『動機善なりや、私心なかりしか』ですね。そして就活で悩んでいる学生の相談役になろうと、自転車で街に出て声をかけ始めたのですね。

田辺 街で声をかけているだけでは、ただの「変なおじさん」になってしまうので(笑)・・・のぼりを立てて、自転車で走るスタイルにしようと思っていました。話題づくりのためにね。でもそれらができるまえに、走り始めたらすぐにマスコミが取材に来た(笑)。、最初は新聞に掲載されました。その後すぐにテレビやラジオにも出演することになって、学生はもちろんのこと大学や人材系の会社からも問い合わせが殺到して・・・。正味1か月くらいでしたが自転車で活動中、200人以上の学生の相談にのりました。

本誌 その後、学生たちが自由に集える場として[キャリぷら]を開設されたんですね。
[キャリぷら]の構想はいつからあったんですか?

田辺 自転車で相談を始めてすぐに場所がほしいなと思いました。相談にのるために学生と喫茶店に入ると、まぁお金を出すのは全部私ですよね。1日10人としても・・・とにかくお金が掛かる!それを承知でやっていたのですが、アホですよね(笑)。
でもなによりも、みんなが自由に集まれる場所があると、学生にとってすごくいいんじゃないかと思ったんです。学生同士で、悩みを相談しあったり、解決したり、くだらないことしゃべっていてもいいんです。そこに大人も混ざって支え合える環境が必要だなと考えていました。

本誌 そしてまず大阪に[キャリぷら]を開設したわけですが、そこにはどんな学生が集まっているんですか?

田辺 すでに内定をもらった学生も、まだ活動中学生も、これから就活をする学生も、みんないっしょに集まっています。なかには就活がうまく行かなくて泣き続ける学生や100社近く落ち続けて破れかぶれになっている学生など・・・でも、そんな学生にも私が言うことはただひとつ。「みんないったん落ちるところまで落ちたらええねん」と。自分自身の経験を振り返っても、どん底にまでいきつくと、高く飛べることを知っていましたから。

本誌 しかもその間、ここではずっと田辺さんはじめおとなたちが見守っていてくれるんですね。

田辺 見守ってくれる人がいるというのは、それだけで安心するものなんですよ。就活がうまくいかない学生も、たまたまいまうまくいっていないだけで、明日はうまくいくかもしれない。内定時期の遅い早いや内定企業の知名度なんかは、その人の価値とはまったく関係がない。だから今日までの悩みをここで捨てて、明日に向かう勇気をすこしでもあたえられたらと。ちょっとかっこよすぎですね(笑)。
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