最初の3年間が勝負。そこで社会人としての足腰が鍛えられます。

HRプロ株式会社 代表取締役社長 寺澤康介

採用から労務管理・人事戦略まで、
日本最大級の人事ポータルサイト「HRプロ」を運営する
HRプロ株式会社 代表取締役社長 寺澤康介氏に
ご自身の就活経験から社会人人生を振り返っていただきました。

■就職する気もなく応募した面接で・・・。

本誌 寺澤さんが、人材関係の仕事を選んだきっかけを教えていただきたいのですが。

寺澤 じつは全くの偶然ですね。大学は文学部だったんですが、人材ビジネスには全然関心がなかった。というより、業界そのものを知らなかった(笑)。しかも大学院に進むつもりで、就職活動はほとんどやっていなかった。就活ももう終わりという9月頃に、社会勉強のつもりで就活をはじめたんです。当時(1985年頃)はその時期だと一般の大手企業はほぼ採用活動を終了しており、マスコミくらいしか選択肢がありませんでした。そんなとき、文化放送ブレーンという会社を見つけ「あっ!ラジオの関連会社だ」と応募した。これが、じつは就職情報会社だったんですね(笑)。初めて訪問した会社説明会のあと、いきなり一次面接になったのですが「就職情報会社という存在を今日初めて知りました。面白いことやっているんですね。どうやって利益をあげているんですか?」と、興味本位で結構失礼な質問をしたんです。ところが、面接官が「君、面白いね、どんなことしたいの?」とのってきてくれて。「やりたいことは決まってないんです。でも、営業だけはやりたくないですね」なんて、生意気な返答をしました。

本誌 それで面接の結果はどうなったんですか?

寺澤 社会勉強のつもりだから、当然受かるわけはないと思っていたら、二次面接に来てくれと。あとから聞いたら、こんな珍しいやつはいないから、上層部がどんな反応をするか見てみようという、面接官になった先輩社員も面白半分だったみたいです。

本誌 いまの就活からは、考えられませんね。

寺澤 二次面接でも「お前は、変なやつだ」と言われながら、最終面接まで行ったんです。役員全員と総務部の担当者がずらっと並ぶ前でも、この会社に絶対就職したいというわけじゃなかったので、気楽に無責任な受け答えをしましたね。やりたくないことは営業だということも言いました。ほとんどの役員は首をかしげていましたが、当時常務だった方のアンテナになぜかひっかかったみたいで、面接後に電話で呼び出されて「君なにか隠しているでしょ。普通の学生は面接であんな対応はしない」と言われました。見ぬかれていましたね。正直に、「大学院を受けるので、社会経験のつもりで受けていました」と白状しました。

本誌 その常務もおもしろい方ですね。

寺澤 「うちもとんがった人間がほしいから、もし、大学院に落ちるか、気が変わったら、来てくれないか。君の嫌な営業ではなく、私が担当している旅行部門の企画をやらせてあげる」と言われたんです。嘘みたいな話なんですが、私の就職活動はそれで終了。

本誌 それで、大学院と就職、どちらの道を選ばれたんですか?

寺澤 お恥ずかしながら大学院の試験に落ちてしまい、親からも留年は許さないと言われていたので、選択肢はほぼ無いですよね(笑)。「一年間会社で稼いで、来年もう一度大学院を受けます」と教授に伝えました。卒業旅行で1か月インドに行って帰国したのが入社日の前日。入社式に行くと「お前、本当に来たの?」と言われた。じつはインドに行くことも伝えていなくて、会社側からしたら連絡がまったく取れないので、これは入社するつもりはないのだろうと思われたようです。当然と言えば、当然ですね。

本誌 とんでもない新入社員ですね(笑)。

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■給料泥棒だと言われて、ムキになって働き始める。

寺澤 それで入社してみると、配属先は就職情報部門の、なんと営業!営業だけは嫌だと言っていたのに話が違うと、会社に訴えたんです。すると、私を強力にプッシュしてくれた常務が社内で失脚していたんですね。後ろ盾がなくなった私を受け入れてくれるところが、営業しかなかったらしいんです。というより、私を辞めさせたかったんでしょう。新人歓迎会で、横に座った営業の課長から「私は、お前みたいなやつ絶対に認めない」と、吐き捨てられるように言われました。自分のことは完全に棚に上げて、私はなんていう会社に入ってしまったんだろうと思いましたね(笑)。

本誌 それは、厳しい環境ですね。

寺澤 こちらもふてくされていたので、入社時研修中はずっと寝てました(笑)。みんなに相当あきれられていたと思います。営業に行きたくないものだから、社内にずっといて、当時会社に導入されたばかりのワープロを練習しました。短期間でかなり上達して、総務部の依頼で社内文書やゴルフコンペの案内状を作ったりしていました。時々営業に出かけるんですが、1社訪問しては嫌気がさし、サボっていました。これが最初の二か月ですよね。そんな最低の社会人スタートでした。

本誌 居心地は悪くなかったですか?

寺澤 いやー、相当悪かったですよ。でも、もう見放されていたから、誰からも文句は言われないし、それはそれでいいやと思っていたんです。こんなことでお金もらえて楽だなと(笑)。そうしていたら、、私より後から入った中途入社社員の人が、私のそんな様子を見て激怒したんです。「お前は人間の屑だ、給料泥棒だ!他の社員にどれだけ迷惑をかけているのか、分かっているのか!」とぼろくそに言われた。私も頭にきて「じゃあ、いくら稼げばいいんですか」と聞いたんです。それで目標はこれだと言われて。売り言葉に買い言葉で「軽く稼いでみせます!」と言い返しました。

本誌 でも、営業は一番やりたくなかった仕事ですよね?

寺澤 そうなんですが、もともと負けず嫌いな性格なんですね。その当時、私は世間話とか相手に合わせて話をするのが苦手で、営業に行っても商品のことしか説明できなかったんです。でも、同期の新入社員の一人は商品の話をろくにせずに、雑談しながら仕事を取ってくるんです。そんな天性の営業のような芸当は自分にはできないから、どうしたらいいか真剣に考えました。そこで、お客さまの話を徹底的に聞いて、そのニーズに沿った総合提案書を作り、理詰めでお客さまを説得しようと考えたんです。ロールモデルになるような先輩が一人だけいたので、、徹底的にヒアリングをして、自分のスタイルをつくろうとしました。。当時のワープロはできることに限りがあったので、企画書のかなりの部分は手書きで、1社1社オリジナルのものを作成しました。そして、理詰めの営業を徹底的にやりました。

本誌 当時としては珍しいですよね。それで、成績はすぐに上がったんですか?

寺澤 そんなに甘いものじゃなかったですね。なかなか仕事が取れなくて・・・。でもやるしかないから何社も何社も総合提案しているうちに、ある日「よし、君の提案をすべてやろう」とある会社の人事部長さんが言ってくれたんです。総合提案した内容をすべてやってくれるなどとは夢にも思っていなかったので、なぜ全部やってくれるんですかとその人事部長に聞いたら、「君を信用した。君にかけてみようと思う。」と言ってくれたんです。その瞬間、天にも昇るくらいの気持ちになりました。ああ、これが本当の営業なんだ、と仕事のおもしろさ、やりがいにはじめて気づいたんです。営業とは、お客さまのために考え、信頼を得てこその仕事なんだと。だから、会社が方針としてこの商品を販売強化すると言われても、私はお客さまのためにならないと思うものは決して売らなかった。お客さまのためになることをやれば、必ず次に繋がると考えて、自分のやり方を押し通したんです。その結果、創業以来の新人売上最高記録を達成しました。結果が出始めると、仕事がさらに面白くなって辞める気にならない。大学の教授に会って、大学院受験はやめますと伝えたら・・・激怒されました(笑)。

本誌 時代が違うと言っても、そうとうやんちゃな社会人人生のスタートだったんですね。

寺澤 学生たちにもよく言うのですが「仕事なんてやってみなくちゃ分からない。どんな仕事でもいいから、最初についた仕事を一生懸命やってみて、初めてわかるものだ」と。だから最初の職場は、頭でっかちにならずに、がむしゃらに頑張ってみる。特に営業職なんて、やってみなきゃ、その醍醐味はわからないですよ。

■波瀾万丈の社会人生活が始まる。

本誌 人材ビジネスへの興味は、どのあたりから深まっていったんですか?

寺澤 新卒採用の提案しているうちに、新卒採用はただ新入社員を採用するだけじゃなくて、企業の将来に大きく影響するものなんだと気づいたんですね。企業の担当者も、すごく官僚的に割り切っている人もいれば、すごく情熱を持ってやっている人もいる。そこに私がああだこうだと提案する。そうするうちに、こんな就職情報会社でも、大企業に大きな影響を与えることができるんだと実感したんです。どの業界でも存在意義はあるわけですが、社会人1年目でそのことを心から感じることができたことは大きかったと思います。その後営業でトップクラスのセールスを続けていたんですが、5年目に制作部署に異動になりました。

本誌 ついに念願の、非営業部門ですね。

寺澤 それが、全くそうでもなくて(笑)。そのころは、会社では営業が一番だって思うくらい好きになっていたので、正直がっかりでした。制作の1年目も、営業の時と同じくらいに、いやそれ以上に苦労しましたね。ポジションは係長クラスで、小さい部署ながらも部下のいる立場。でも、仕事のやり方も違えば、撮影や印刷の専門知識もない。それでも部下にわからないから教えてくれなんて言えない。制作の外注先のスタッフからも、素人扱いされる。いや、邪魔扱いですね(笑)。営業時代のプライドはズタズタにされました。

本誌 それは大変でしたね。

寺澤 制作実務の経験もそうですが、作ることに関する企画の引き出しが全くないことに気づきました。どうにかして、引出しを作らなきゃいけないと思い、色々な制作のプロの方に教えを乞いました。七転八倒の時期でしたね。当時は、とにかく仕事の量をこなして経験を積むことが一番だと思い、課長にお願いして、大小合わせて数百本の案件を担当していました。

本誌 まさに100本ノックですね。

寺澤 どんな仕事も、簡単にできるようになるわけはない。営業で仕事の達成感を味わったので、「苦労=成長」だと考えて制作でも頑張りました。そうすると、大型案件をどんどんとれるようになってきて、社内外から一目置かれる存在になったと思います。。でもまた、4年で異動なんです。

本誌 仕事を覚えて楽しくなった頃に、異動があるんですね。

寺澤 次は、新規事業の部署でした。当時はインターネットがまだ普及しておらず、FAXで就職情報を学生に提供し、課金するという事業でした。その後の就職ナビの原型ともいえるものですが、さすがにFAXで、しかも学生課金となると収益に限界があり、ほぼ2年で終了となりました。でも、事業を立ち上げる面白さにはしびれました。いつか、自分で会社をやりたいと思ったのは、この頃からかもしれません。そうした時期にバブルが崩壊し、会社で大規模なリストラがあったんです。社員の多くが早期退職しました。

本誌 寺澤さんは辞めなかったんですか?

寺澤 会社から制作部門の立て直しを頼まれて、当時の部長と副部長の私のふたりで立てなおしてやろうと、やる気になりました。たしか、制作部門の社員の6-7割が辞めたと思います。そこで、組織としての仕事のやり方をすべて見直し、社外の協力会社、スタッフなども再整備して、かなり中央コントロール式にカイゼンを行いました。すると、競合プレゼンの勝率も5割以上になり、利益率も大幅に向上し、それだけ社員が減ったのに売上・利益とも大きく伸びたんです。それまでがいかに組織としてたるんでいたかということですね。こうした経験を通じて、組織の重要性を痛感するとともに、仕事としての面白さも強く感じました。この時の経験が、その後の私の経営者としての仕事の基盤になったと思います。

本誌 就職時はあんなにいいかげんだったのに、逆境になるほど仕事に燃えるんですね。

寺澤 振り返ってみるとたしかにそうですね(笑)。

■会社が買収され、独立を決意。

本誌 その後、独立されるんですか?

寺澤 じつは、まだひとつあってですね(笑)。当時すでに就職情報業界に就職ナビという存在はあったんですが、今のものに比べるとリアルタイム性やユーザビリティが格段に劣っていました。そんなときアメリカのベンチャーが面白い就職ナビの仕組みを開発したというニュースが飛び込んできた。いまでは当たり前ですが、ネット上で情報、データを入れるとリアルタイムに反映され、、求人企業、求職者がコミュニケーションをとれるというものでした。ユーザーのPC環境にも依存しません。これだとおもって、即座にその企業にコンタクトをとったんです。アメリカに行って実際にみてみると、これは行けるぞと直感した。うきうきしながら帰国して、会社の上層部にプレゼンしたんです。リクルートもまだやっていないし、絶対に売れると。ところが、上層部は、よくわからないし億単位の投資がかかるものなんて無理だというんです。また、何よりも反対したのが、今までの就職ナビをつくってきた部署の現場の人間たちでした。「ノウハウのない私たちに、そんなものは作れません」と猛反対されました。

本誌 やったことがないから、できるわけがない。つねに新しい企画がぶつかる壁ですね。

寺澤 そんなに大きな会社ではないから、ノウハウもないし、技術者もいない、金もない。あらゆる人たちから猛反対されました。でも、そんなものやってみなきゃわからないでしょう、市場は変わるんです、チャンスです、チャレンジャーにならないと果実は得られない、と大声を上げ続けたんです。すると、役員の一人が、そんなに言うならやらせてみようと。でも、同調してくれる人はなかなか集まらず、結局社内でインターネットに興味を持っていた数人が寄せ集まって、開発がスタートしました。

本誌 それで、開発はうまくいったんですか?

寺澤 苦労話は山ほどありますが、それこそ夜も寝ないで、約6か月でリリースしました。リリースすると、あっというまに評判になって、「どんな風につくったんだ?」なんて、競合社がすっとんできました。リクルートの就職ナビの責任者が一番最初に聞きに来ましたね。冗談ではなく、さすがだなと思いました。

本誌 絶好調ですね。でも、そんないちばん脂の乗った時期に、会社を辞めると決意されるんですよね。

寺澤 皮肉なことなのですが、この就職ナビが評判になって、ある会社に買収されました。私は就職ナビの責任者から外され、新たなネットビジネスを立ち上げるように指示されました。それはそれで面白かったんですが、1年程度でまた別の資本が入ってきて、大株主が変わり、別の会社と統合されました。統合された新会社の新経営陣がとんでもない人たちで、さすがにすぐ辞める気になりましたね。

本誌 それで、起業されるわけですが、転職ではなく起業を選択された理由を教えて下さい。

寺澤 前にも言いましたが、以前から起業を意識はしていたんです。でも会社の中で次から次へと面白いことが起こるので、いろんなステージを楽しんでいました。だから、買収されて会社が変わってしまったのは、逆にいいチャンスだったのかもしれません。最初の起業は7人の仲間と行いました。当時私は38歳。常務取締役として6年間その会社を運営し、軌道に乗せたところで、一人で今の会社(HRプロ)を立ち上げました。

本誌 44歳での起業。一人で会社を興すことにご家族には反対されなかったんですか?

寺澤 最初の時の同じ様に、全く反対されませんでしたね。子供も三人いて、潤沢な資金があったわけではない。一応、前の会社を辞めると決めてから、自分の市場価値がどれくらいあるのかなと思って、人材紹介会社に登録してみたんです。そうするとそれなりに年収のある案件はいくつか来ました。でもどの仕事も面白いと思えなかったんです。それで、今度は一人で起業しようと思うと妻に相談すると、「あなただったら大丈夫、やりたいことをやって。」と背中を押してくれました。冗談交じりに「早くお金持ちの奥さんにしてね」とも言われましたが(笑)。

本誌 それは実現しましたか?

寺澤 いや、まだまだですが(笑)。でも、妻のひとことには本当に救われました。だからこそ、絶対に失敗できないと思いました。

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■最初に入る会社は、どこでもいいんです。

本誌 これまでのお話を聞いていると、常にご自分を客観視して評価しているように思うのですが・・・。

寺澤 そんなことはないと思いますよ。大学生のころは、極めて頭でっかちでしたしね。営利企業というものに対して、私利私欲を追及していると否定的に考えていたので、知りもしないのに評論家みたいなことを言ったりして。でも最初に就いた仕事で、もう本当に頭をかち割られるくらいの衝撃を受けて、こりゃ何とかしないといけないと思った。頭でっかちでは、何もできない。最初は目の前にある仕事にがむしゃらに向かっていく。そうした体験を経て、次に仕事で成果を上げるための仮説をたてて実行していく。成功するには戦略をたてないとダメだし、うまくいっているかどうかを常に検証しないといけない。仕事のキャリアを通じてPDCAサイクルをまわす癖がついたんじゃないでしょうか。ただ、タイプとしては基本的に新しいことをやりたがるタイプなので、いろんなことに挑戦して、失敗して、ときには成功して、その経験から学んだことがほとんどですね。

本誌 まだまだ、お話をお伺いしたかったのですが、寺澤さんがこれから出張にいかれるということで今回はタイムリミット。起業後のお話はまた次回お伺いしたいと思います。最後にこれから社会に飛び立とうとしている学生さんに、なにかアドバイスをいただけませんか。

寺澤 少しでも良い会社に入りたいという学生さんの夢を壊しちゃうかもしれませんが、最初に入る会社なんかどこでもいいと、私は思うんですよね。有名企業だけが会社じゃない。最初の仕事は厳しすぎるくらいの方が絶対成長できるのでいいし、やってみないと合うか合わないかなんて結局分からない。私もまさにそうでした。そして、最初の職場では、よほどのことがない限り3年間は頑張ること。とはいえ、過重な残業で精神的に耐え切れないと思った時は、すぐに辞めるべきですが。それはともかくとして、最初の3年間で社会人としての足腰が鍛えられます。文句を言わず、与えられた仕事を期待レベル以上で達成できる習慣をつくることが、まずは重要です。そのためにも与えられた仕事を一生懸命やること。その癖がつくと、仕事のレベルはどんどん上がっていきます。そうして力がついたら、、あとはその会社でずっとやるのか、転職するのかを選択すればいい。どんな大会社だって潰れることがあるかもしれないし、小さなベンチャー企業が成長して大きなステージが与えられるかもしれない。転職するか会社に残るかは、その時に決めればいいんです。それから、就職活動で消耗しないようにしてください。自己分析なんてしなくてもいいし、自己PRもうまくできなくてもいい。何かしらのきっかけで「採用するよ」って言ってくれる企業があれば、そこにお世話になってみる。仕事をはじめてからの人生のほうが圧倒的に長いんだから、就職をゴールにだけはしないで欲しいですね。