W杯のこと。Jリーグのこと。そして私のこと。  〈前篇〉

Jリーグチェアマン  村井満

村井チェアマンと『シゴトノヲト』の発行責任者である釘崎とは、30年来の交友関係にある。大学生や社会人のリスナーを前に、リラックスした雰囲気のなか、サッカーのこと、チェアマン自身のキャリアのことなど、ライブ感あふれるトークが繰り広げられた。
(2014年7月25日「職サークルセミナールーム」飯田橋にて公開収録)

■ワールドカップでの厳しい戦い

本誌 W杯(ワールドカップ)への同行、お疲れ様でした。日本代表戦は3戦とも現地で観戦されたわけですけれども、残念な結果に終わってしまいました。

村井 ブラジルに到着して驚いたのは、猛烈な蒸し暑さ。湿気がからだにまとわりついて、動けなくなるような重さなんです。あれだけは、体験したものじゃないとわからない。初戦のコートジボワール戦は、レシフェという赤道にほど近い街で行われたのですが、激しいスコールの中でのゲームになりました。10分くらいゴーッと降って、さっと上がる。またゴーッと降る。雨だからといって、蒸し暑さが軽減されることはなく、私なんてカッパを着たり脱いだりするだけでも体力が剥ぎ取られる感じでした。
最近Jリーグの試合会場ではあまり見られなくなったのですが、ブラジルではゲームが停滞すると、すぐにウェーブが起こるんです。コートジボワール戦でも日本が1点先取したあと、決定機を外し続けた。会場はしらけた雰囲気になってウェーブが起こっていました。ところが、交代選手としてドログバがピッチに入ってきた時、激しいスコールの中で天に向かって祈るポーズをしたでしょう。まさに天地創造、モーセの十戒のような神々しい姿。会場が異様な雰囲気に包まれたんです。その時のどよめきというか唸り声がすごかった。

本誌 ドログバにはオーラがありましたね。素人目にもこれはやばいな、と思いながらテレビを観ていました。

村井 日本の選手たちは、これまで体験したことのない、異様な雰囲気に飲み込まれたんだと思います。でも、初戦はどのチームも同じだと思うんですね。その雰囲気を味方につけるか、敵に回すかで、ゲーム展開は大きく変わります。
とにかくブラジルは広い。恐ろしく広い。日本代表のベースキャンプ地はイトゥというブラジル南部の都市。試合会場まで、毎回片道3-4時間の移動を余儀なくされた。試合のたびに、羽田から香港へ行っているみたいなものです。しかもイトゥは、軽井沢のような過ごしやすい気候。選手の体に負担をかけず、リラックスできるようにという配慮だったのですが、避暑地の軽井沢と灼熱地獄を行き来した選手たちの消耗は、予想をはるかに超えて激しかったそうです。

本誌 選手たちは温湿度の差だけではなく、移動距離とも戦わなくてはならなかったんですね。

村井 出場国はどこも同じ条件。日本は、本戦に向けたキャンプ地の選定やコンディショニングづくりがうまく行かなかったと言われています。それも勝敗を分けた大きな要因でしょう。日本代表以外でも、明らかに動きの悪いチームは多かった。ヨーロッパの強豪国ですら、予選リーグで姿を消しました。
日本代表に限って言えば、今回のチーム構成は国内組11人に海外組12人。ほぼ半分ずつ。国内組はJリーグのシーズン真っ最中なのでトップコンディション。大久保選手や青山選手の動きは、すごくよかった。一方海外組は、厳しいシーズンが終わった後で、体力的に出し尽くしていて、試合勘も戻っていない。国内組と海外組のコンディションの差は明らかでした。

本誌 そうだったんですか?素人目にはわかりませんでした。試合に入る前の準備が明暗を分けていたという可能性もあるなんてショックです。代表選手たちも、本来の実力を発揮しきれなかったということであれば、さぞかし悔しかったでしょうね。

村井 そういうことも含めて、これがサッカーなんです。

■日本代表が、世界最大のユース大会で優勝!

本誌 4年後は、ロシア大会。がんばって欲しいですね。

村井 もちろん私も大きな期待をしていますが、4年後は、すぐ来ちゃうんです。来年からもう予選も始まりますし。
先週末に札幌でコンサドーレのゲームを視察していたときに、うれしいニュースが飛び込んできたんです。公式サイトのチェアマンコラムにも書いたので、くわしくはそちらを読んで欲しいのですが、スウェーデンのイエテボリで開催された世界最大のユース大会「Gothia Cup(ゴシアカップ)」で、Jリーグ選抜チームがU-15(15歳以下)のカテゴリーで優勝したんです。そして、U-16クラスに出場したセレッソ大阪も、ベスト16。日本のユースチームは、好成績をのこしてくれました。世界73か国から1660チーム、3万8200人の選手が参加した、すごい大会なんです。

本誌 それは素晴らしい!!

村井 男子はU-11からU-18、女子はU-12からU-19に分かれてカテゴリーごとに戦うんです。日本代表が優勝したU-15のカテゴリーは208チームが参加。日本からは、U-14のJリーグ選抜チームを派遣しました。

本誌 U-15の戦いに、U-14だと不利じゃないですか?

村井 もちろん。ユース世代の1年の差は大きいですから。でも、Jリーグでは、若い選手の育成がもっとも重要だと考えていて、各クラブTOPチームの下に、ユースチーム(高校生)、ジュニアユースチーム(中学生)という育成組織を持っているんです。今回あえてU-14を送った理由は、14歳って中学2年生。所属チームでは3年生がレギュラーの中心。控えの選手が多いんです。だから、国際経験と実戦経験を積んでもらうために、あえて14歳でチームを構成したんですね。相手チームは、ほとんど15歳。そんななかで14歳のJリーグ選抜チームが優勝した。準決勝で、アルゼンチン代表を2-1で撃破。決勝戦の相手は、ドイツ代表。0−2と先行を許しながらも追いついて、PK戦の末、勝利しました。

本誌 アルゼンチン、ドイツといえばブラジルW杯の決勝を戦った国じゃないですか。ユースとはいえ、そんな強豪国を破っての優勝なんてすごいですね。

村井 「Gothia Cup(ゴシアカップ)」での優勝は、世界のユースチームにとっては、とてつもない名誉なんです。イエテボリでは、選手たちはオープンカーに乗って優勝パレードしたんですよ。彼らが帰国するというので、チェアマンとしてはぜひとも彼らを出迎えたい。急遽、札幌の試合観戦を切り上げて、彼らが到着する関空まで飛んだんです。

本誌 チェアマン自らの出迎え。選手たちもよろこんだでしょう。

村井 子どもたちも、いろんなメディアが出迎えてくれているんじゃないかと、イミグレーションから笑顔いっぱいで出てきたんです。ところが、出迎えたのは、私ひとり。メディアの姿はまったくなかった。世界最大の大会とはいえ、まだ日本国内での認知度は低いんですね。日本代表やJリーグだけではなく、日本にサッカー文化を根付かせるためには、もっともっと頑張らなきゃ、と思いました。

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■人間としての能力を高める「8つの力」とは?

本誌 こういう快挙が、ニュースとして伝わると、私たちの関心も強くなります。子どもたちも、ひとまわり成長して帰ってきたんじゃないですか?

村井 祝勝会で、「今回のワールドカップで決勝ゴールをあげたのが、ドイツのゲッツェ。彼は22歳。君たちも8年後のカタール大会では22歳なんだよ」と話したら、みんな驚いていました。

本誌 チェアマンの視線は、はや8年後を向いているんですね。

村井 日本サッカー協会や代表チームは、もちろん4年後の成果を目指しています。しかし、Jリーグには、育成という大きなミッションもある。だから、すこし長いスパンで見たほうがいいんじゃないかと。

本誌 「育てる」という視点なんですね。

村井 止める、蹴るというサッカーの基本を教えるのも育成だけど、もっと人としての能力を高めるための育成が必要なんだろうなと考えていたんです。で、コートジボワール戦で苦戦しているのを見たあと、同行したJクラブの社長たちと食事している時に、ハッと思いついて、まさに船中八策。手元にあった紙に書いていったんです。それが、私の考える「8つの力」です。

本誌 どんな力ですか?ぜひ聞かせて下さい。

村井 1つめが「準備する力」。大会の本番に向けて、どういうコンディション作りをするのか。対戦国はどんなチームで、どんな戦い方をするのかなど、基本的な情報を集める。サッカーではスカウティングと言って、相手チームや選手の情報を徹底的に収集して事前に備えます。遠足の前の日に、持ち物リストを確認しながら用意するのと似ていますね。
そして2つめが「観察する力」。雨が降ってきてピッチが滑りやすくなってきたぞ。相手のベンチでドログバが準備しているぞ。審判のファールの基準が厳しいぞ。など、刻々と変化する状況をつぶさに観察する力。これは、サッカーでは重要。
3つめが「考える力」。観察して得た情報をもとに、思考回路を回していく。物事には必ず原因がある。だから次はこうなるはずだと推論して考える力です。
4つめが「意思決定する力」。考えているだけでは駄目で、オープンに開いてクロスをあげよう、とか、ドリブルで切り込もう、など考えた上で判断し、意思決定する力。
5つめが「コミュニケートする力」。サッカーはチームプレイなので、意思決定したことを相手に伝える力も重要。若い選手が目上の選手に遠慮してものが言えないような状況が一番良くない。
6つめが「統率する力」。世の中ではリーダーシップと言われたりもします。
7つめが「団結する力」。チームワークを構築する力、チームをまとめていく力ですね。
8つめが「やり切る力」。そして、そのチームで徹底的にやってみる。こういう力をJクラブが徹底的に教えていく。どんなにサッカーのテクニックがうまくても、自分のことばかりで相手のことを考えないような選手は、いいプレーヤーにはなれない。

本誌 これはそのままビジネスや、これからビジネス界に入ろうとしている若者たちにもつながる力ですね。ところで、村井さんはリクルートのOBでもあります。32年前、まだ無名だったリクルート(当時は日本リクルートセンター)に、入社しようと思った理由を教えて下さい。

■大手銀行の最終面接の途中で!?

村井 リクルートとの最初の出会いは、大学生3年生の時。1980年代に突入して間もないころです。中国では文化大革命が起こって、改革開放路線に大きく舵を切り始めた。外国人も中国奥地に入っていけるようになるかもしれないと。折も折、NHKでやっていた「シルクロード」という素晴らしい番組を観てしまった。この感動的な風景を自分の目で観てみたい。中国の奥地に初めて入った外国人になりたいと思ってしまったんです。で、大学って、8年間在籍してもいいでしょう(笑)。そんなに時間があるなら、3年間かけて北京からウルムチまで6千kmを歩いてみよう、と友人と計画を立て始めたんです。

本誌 中国とリクルートが、どうつながってくるのでしょう?

村井 中国を旅するには、とにかく資金が必要じゃないですか。だから、資金集めのために企業を回り始めたんです。大学の就職課で企業の情報を調べて、かたっぱしからあたっていった。すると、永谷園から味噌汁一年分とか、ミズノスポーツからテント一式とか、オニツカタイガー(本誌注:現在のアシックス)からスポーツシューズとか、大塚製薬からは、当時発売されたばかりのポカリスエットも提供してもらいました。
そうやって動いていると、6大商社の中国室長会議があるから、そこでプレゼンテーションしてみたら?とアドバイスを貰ったんです。でも、プレゼンテーションって何?(笑)いろんな経験しました。企業や、議員会館にも議員さんを次つぎと訪ねて。ぽんと、10万円出してくれる人もいたんですよ。

本誌 当時はまだ男気のある大人たちがいたんですね。でも、まだリクルートとはつながってきませんね(笑)。

村井 そんな企業まわりの一環で、援助してくれそうな企業を考えていたら、そうだ、学生にリクルートブックを届けてくれるような会社は、学生の味方に違いない、と短絡的に思い込んで、リクルートを訪ねたんです。当時の『就職ジャーナル』の編集長が会ってくれて、「日産に行ったらケンとメリーのTシャツもらえるよ」と、いろんな情報を教えてくれたんです。

本誌 リクルートも資金援助してくれたんですか?

村井 いいえ。お金はくれなかったですね(笑)。でも、それ以来、困ったら編集長を頼るようになっていた。魅力的な人だったんです。

本誌 で、中国へは?

村井 行きました。でも6千kmは、歩けなかった。開放したと言っても、ここから先はダメという場所や、規制があまりに厳しくて。途中で挫折して帰ってきたんです。大学3年の途中頃で、帰国したら、みんな就職活動は終わっていた。自分も就職活動しなくちゃと思って、また編集長に相談に行ったんです。学生の味方だから(笑)。編集長と話しているうちに、この会社はおもしろいなと、興味をもつようになったんです。

本誌 当時は、まだまだ無名で小さな会社ですよね。それで、リクルートの入社試験を受けたんですか?

村井 いいえ。銀行がまだ採用活動をやっていたんです。リクルーターが銀行志望の後輩を集めて、スカウティングのようなことをしていたので、私も参加した。でも、銀行には興味がなかったんですね。いちばん前のカウンターの席から一列ずつ後ろに下がって、一生終わると思っていたら、その先輩が「村井くん、銀行には2階もあるよ」って(笑)。そんな私に先輩が興味を持ってくれて、面接を受けたらトントン拍子で最終面接まで行っちゃったんです。そして、本店の最上階に通されて、役員の方に「どうかね?」とビールを注いでもらった。どういうことですかって、聞いたんです。バカでしょう(笑)。それは君、うちで働かないかってことだよって。

本誌 もしかしたら大銀行に勤めていたかもしれないんですね。

村井 そこで、なぜか『就職ジャーナル』の編集長の顔が浮かんできて。最終面接の最中に「自分の人生を決めるのに、どうしても相談しておきたい人がいるんです。すみません。30分だけ時間を下さい」と言って面接会場を飛び出して、その銀行のあった有楽町からリクルートのあった新橋まで走っていった。ま、ひと駅ですけど(笑)。そうしたら、編集長に「ばかやろー。何やってんだお前は。一生かかって一度会えるかどうかの人に会ってんだぞ。とにかくちゃんと詫びてこい」って、ほんとうにお尻を蹴飛ばされたんです。

本誌 それで、また銀行に戻ったんですか?

村井 銀行に戻りながら、いろんなこと考えたんですね。で、面接会場に戻って、「すみません。リクルートを受けたいので、辞退します」と謝ったんです。今思えば、とんでもないことやらかしてますよね。

本誌 いまのリクルートならまだしも、ね。銀行の人も、驚いたでしょう。とんでもないバカがいるって(笑)。

〈後編に続く〉

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